不安の力

現在コロナ禍も次第に落ち着きつつあるが、未だにモヤがかかったようにぼんやりとしていて着地点が見えないというのが現実である。

またメデイアでは凶悪事件の話題で持ちきりである。

この不安な時代をどう生き抜いていくか?

心の健康をどのように維持していくか?

個人差はあるとは言え切実な問題ではないだろうか?

そこで自宅の本棚に眠っていた五木寛之さんの「不安の力」という本を手にとって読ん

でみることにした。

                                 次回に続く

 

 

 

 

壁と卵

 

人は泣きながら生まれてくる。

人生の荒波の中に投げ込まれるのが怖いからだと聞いたことがある。

自分の意志で生まれてきた人はいない。

生まれてきた意味を考えてしまう。

利益優先の会社勤めをしていて虚しく思う事がよくある。

私は依存体質の弱い人間だから、だからこそ

弱い立場の人の助けになるようなこと

をしてみたい。

体制が壁なら個人は柔らかい卵のようなもの。

村上春樹さんの言葉だったように思う。

私はいつでも柔らかい卵のような人の味方でありたい。

人間らしさ失っていない人の側に立ちたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鬼滅の刃を見て

巷では鬼滅の刃が大ヒット中である。

あまりのフィーバーぶりに感化され先日近くの映画館に足を運んだ。

この映画では様々な絆が描かれている。

親子、兄弟、師弟の絆など..,
この物語は当たり前であるはずの日常が、主人公の家族の死という形で跡形もなくなくなってしまうところから始まる。

主人公やその仲間たちは、それぞれの絆を深めながら鬼たちと戦っていく。

ラストシーンでは、鬼殺隊の隊長の煉獄杏寿が幼少のころ「強く生まれたものが弱いものを守るのは責務」と言って抱きしめてくれた亡き母に褒められながら笑顔で死んでゆく。

彼は自分の命よりも、仲間との絆、母との約束を守ることを選んだ。

人はいつか必ず死を迎えるはかない存在であるからこそ、今を生きる命は限りなく美しく愛しい。

今この映画が人の心を捉えてるのは、人が生きる意味について、ストレートに描き切っているからだと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大いなるものの存在

さいころ人はなぜ生まれてくるのか?

よくわからなかった。

意味がわからないのである。

それをみつける旅を全うすることが

人として存在する意味なのか?

やっとそんなふうに思えるまで

ずいぶん時が過ぎた。