私の好きな詩

「道はいつも開かれている。」  古谷綱武

道は、すべての人の前にひらかれている。

その人に、やる気があるかないかだけである。

道は、すべての人の前にひらかれている。

しかし、道が閉ざされていると思う人の前には道は閉ざされている。

自分はだめだと思う人はだめになっていく。

道は、すべての人の前にひらかれている。

しかし、自分が生きていくべき人生は、自分で発見していくよりほかにはないのである。

道は、すべての人の前にひらかれている。

しかし、生きがいとしあわせとをつかみあてるその鍵は、自分の心の姿勢のなかにだけしかない。

道は、すべての人の前にひらかれている。

しかし、個性のない人生は、真実の人生ではない。

たとえすぐれた人のまねをしても、まねをすることでつかみあてられる「自分の人生」というものは、この世にはないのである。

道は、すべての人の前にひらかれている。

しかし、人生を暗く生きようとする人には、明るい人生も暗くしか生きられない。

人生を明るく生きようとする人だけが、暗い人生さえも、明るく生きていくことができるのである。

道は、すべての人の前にひらかれている。

しかし、自分からあきらめてしまうことは、もはや生きることではない。その人の前では道も閉ざされる。

道は、すべての人の前にひらかれている。

しかし、人が一度でやりとげられることが、自分には一度でやりとげられないこともある。

一度でやりとげられないことは、十度やってみよう。十度やってもやりとげられないことは、百度やってみよう。

道は、すべての人の前にひらかれている。

しかし、やりとげるまでは、けっしてやめないこと。そして、やりとげようとする心をけっして失わないこと。

道は、すべての人の前にひらかれている。

しかし、見栄や虚栄心、にくしみやうらみ、欲の深さや身勝手な自分本位、

そうしたものに心をしばられていると、その心の束縛の不自由さによって、

その人は、自分から自分の道を閉ざしてしまうことがある。

道は、すべての人の前にひらかれている。

しかし、求める心があるならば、恥をかくことはけっしておそれまい。

軽薄な虚栄心などに心をしばられまい。

また、人をにくむことから得られるものはなにもないことも、よく知っていよう。

欲の深さは、かえって失うことが多いことも知っていよう。

道は、すべての人の前にひらかれている。

しかし、自分から自分の道を閉ざしてしまうような、そういう自分のなかのいっさいのものを、自分から捨て去っていくことが大切である。

それを捨て去ってしまったとき、ほんとうの自分が生まれてくる。道がひらけてくる。

道は、すべての人の前にひらかれている。

しかし、すぐに、かんたんに、わかった気持ちになってしまうのは、危険である。

一だけを考えて一がわかったと思うのは、ほんとうにわかったことではない。

百考えてやっと一がわかったというのが、ほんとうのわかったということである。

道は、すべての人の前にひらかれている。

しかし、いつも、やわらかい頭を持って、早く判断できる人でありたい。

一だけを考えて、けっしてあやまることなく、たちまち一の判断ができるのが、生活力とよんでもよいものである。

ただ、そうした早い判断が、いつもあやまりでなくできるのは、その人が百を考えぬいてきた蓄積を、その心のなかにもっているからなのである。

道は、すべての人の前にひらかれている。

しかし、よいことをたしかによいとわかり、

わるいことをたしかにわるいとわかることが大切である。

しかもそれは、ほんとうは、それほどやさしいことではないのである。

そのむずかしさこそをよくよく知った人でありたい。

道は、すべての人の前にひらかれている。

しかし、わるいことがたしかにわかるためには、よいことがたしかによいとわかる以上の、教養とセンスとが必要である。

そのことも、よく知っていたい。

道は、すべての人の前にひらかれている。

しかし、たえず、知ろう、学ぼう、考えよう、とする